TRANSCREATION Lab.に寄稿したコラムを転載します。
北京五輪では東京に続いて日本の選手たちが活躍しとても観戦しがいがありました。特に、平野歩夢選手のトリプルコーク1440、羽生結弦選手のクワッドアクセルは、人類史上最高難度、史上初といわれる技、前人未到に挑んだ彼らの姿は本当に素晴らしいものでした。スノボビッグエアの岩渕選手も、斜め軸の後方3回宙返り技「フロントサイド・トリプルアンダーフリップ」に挑戦、このトリックも女子最高難度、成功はしなかったものの他国の選手たちが岩渕選手のところに駆け寄り挑戦を讃えていたのが印象的でした。
私たちは前人未到に挑む姿に共感し感動します。Transcreatoinも、これまでになかった表現で多くの人の共感を呼ぶことが究極の目的だと思います。
今回は、共感を呼ぶ未到への挑戦について考えてみたいと思います。
人類史上最大の未到への挑戦・アポロ計画
未到への挑戦はスポーツに限ったことではなく、科学、産業そして芸術でも日々行われています。産業界では、これまでになかった製品やサービスは頻繁に誕生していますが、多くの人の共感や感動を呼ぶようになるものは少ないと思います。「未到への挑戦」と言われ、人々の共感を呼ぶものにはどんな特徴があるのでしょうか?
まずは、未だに人類史上最大の未到への挑戦と語られる「アポロ計画」(1961-1972)をみてみましょう。
米国大統領ケネディが1961年に上下両院合同議会で、10年以内に人間を月に到達させ、無事帰還させるアポロ計画を発表、翌1962年にライス大学で行った演説に人々は熱狂します。
“We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.”(1)
困難だからこそ立ち向かうというところ、しかも普通の人では思いつかない未到へのチャレンジに共感のポイントがあります。アポロ計画は共感を集めた結果、米国の国際的地位、国内の求心力を向上させ、システムエンジニアリングや半導体技術など多くの技術の飛躍をももたらしました。非常に面白いのは、アポロ計画開始前後から理系、特に物理系、工学系のPh.D.をとる学生が増え、アポロ計画中止後、減少していったというデータがあるところ、若者のチャレンジ精神をかきたてたプロジェクトであったことがわかります。(2)
「正しい問い」を立て、常識を覆す答えを導く
アポロ計画で重要だったのは、10年以内に月に人間を到達させ、無事に帰還させることだけを提示したこと。つまり、「賢い答え」から始まるのではなく、「正しい問い」を立てるということです。そして、この問いが、「大きな社会的課題」と「望ましい未来の創造」に基づいているということです。(3)
最初から「答え」が提示されていたらその道を進むしかありません。困難な「問い」が提示されている場合は、その答えは多くの可能性の中から導くことができます。しかし、未到の問いは従来の技術では解決が難しく、常識を覆す斬新なアイデアが出てくることを待つしかありません。そのようなアイデアが実現したとき、「これは凄い!」と私たちは共感するのです。
写真家・西野壮平さんは、自らの足で都市を歩き回り、撮影した膨大な数の写真を1枚1枚手作業で貼り合わせひとつの作品にする「Diorama Map」シリーズで有名です。2021年、コロナ禍で海外に行けなくなったことから、西野さんは富士山を題材に選びました。「かつてさまざまな芸術家たちが挑戦してきた日本の象徴に対して、自分は何ができるのか?」という問いを立て、写真でありながらまるで絵画のような新たな表現「Mountain line Mt Fuji」を創出しました。4つある全ての登山口から登頂、周辺のスポットも含め3ヶ月に渡る撮影を行いました。コロナ禍で関係者のみで行われた富士吉田の火祭り、寂しい雰囲気の聖火リレーなど2021年ならではの姿、悠久の時を経ても変わらない富士への畏怖など、自分の目で捉えた画像は数万枚にもおよびます。これらの画像をつなぎ合わせ巨大な富士を作り上げるのですが、今回は「すやり霞」という大和絵の技法に果敢にアプローチし、これまでのDiorama Mapを超えた全く新しい富士山を描きました。設定した「問い」に対して、写真と大和絵という全く異なる技法を融合させ新しいコンセプトを創出したのです。(4, 5)
産業界における現在の最大の社会的課題は環境問題でしょう。環境問題に対して「正しい問い」を立てるのはなかなか難しい。
米国のベンチャー・Biomason社は、「CO2排出を極限まで減らしてセメントを作るにはどうするか?」という問いを立てました。従来セメントは焼成のプロセスが必要で大量のCO2を排出します。その量は、世界全体のCO2排出量の8%を占めると言われています。Bimason社は、リサイクル天然骨材の粒子間に、微生物が作った炭酸カルシウムを架橋させることで十分な強度をもつバイオセメントを開発しました。焼成プロセスがないので、格段にCO2排出を減らすことができます。現在、H&Mとのコラボレーションが行われていますが、アパレルの店舗がバイオセメントでできたタイルで覆い尽くされたとしたら、とてもインパクトがあります。バイオというと柔らかいイメージがありますが、これを建築素材に使うという常識を覆す発想は、多くの共感を得られるのではないでしょうか。(3, 6)
共感を呼ぶ未到への挑戦の鍵となる「直感力」
一橋大学名誉教授の野中郁次郎さんは、2020年に出版した『共感経営 「物語り戦略」で輝く現場』という本の中で、人間関係の本質は共感にあり、イノベーションや大きな成功は、論理や分析ではなく、「共感→本質直観(eidetic intuition)→跳ぶ仮説」というプロセスにより実現されると述べています。ここで「直観」とは「ものごとの本質を直接的に見抜く」ことをいい、よく使われる「直感=ものごとを本能的に瞬間的に心で感じる」とは異なります。(7)
私は、アート思考で斬新なコンセプトを創出するプロセスを「リサーチ・根本から考える→思考の飛躍→常識を覆すコンセプト」と説明しています。つまり「本質直感→跳ぶ仮説→共感」の順になりますが、野中先生の説とは非常に近いと思っています。野中先生も「共感、本質直感、跳ぶ仮説はアート的な発想の世界です。その意味でイノベーションは、アートとサイエンスの融合により実現されます。確実にいえるのは、サイエンスだけではイノベーションには到達できないということです。」と語っています。(8, 9)
本コラムで考えてきた「共感を得る未到への挑戦」は「直観力」が鍵になりそうです。そして、直観力を磨く(本質を見抜く力をつける)には、普段自分が接しているシステムから離脱するか、違うシステムの中の人と対峙することで、自分が常識と思っていることに揺さぶりをかけることが効果的です。
野中先生の本の中で、ホンダジェットのプロジェクトリーダー・藤野道格さんのコメントが記されています。
「既成概念を破るようなパッとした発想というのは、長年にわたる専門的な勉強で培ったバックグラウンドを一回捨て去ってしまうぐらいのところに到達しないと、生まれないのではないかと思う。禅のお坊さんは修行を積んだあとに、一回全て無になるという。既成概念とか典型的なパターンとか、ロジックとかをすべて取り払った上で何か新しいことを考えることができないと、新しいものは生み出せないのではないでしょうか」(10)
日本の霊長類学の創始者であり、ヒマラヤの探検家としても活躍した今西錦司さん(1902〜1992)も、直観について非常に多くのコメントを残しています。
「自然科学の方法論には,直観はふくまれないはずだ。けれども既成のロジックで、がんじがらめにしばりつけるだけでは、自然科学といえども,進歩しないであろう。進歩のためには飛躍が必要である。この飛躍が,じつは直観による飛躍なんです。」
「ではどのようにしたら,各人にまでもう一度,直観という能力を恢復さすことができるであろうか。方法はいろいろあるだろうけれども、これは私の経験に徹していうならば、なにはともあれ自然に帰れ、である。それは山登りであっても,魚釣りであってもよいから、とにかく自然にひたり,自然にとこけこむことによって過剰になった意識と欲望から解放されたならば,それと反比例して直観力はおのずから充実してくるだろう。」(11)
探検家でもあった今西さんらしいコメントですが、藤野さんと同じことを言っています。自分が慣れ親しんだシステムから外に出ると、今まで本質とか常識とか思っていたことが、そうではないことに気づきます。そうなると混乱状態に陥りますが、その中から、異なるシステムにおいても不変の本質に気づけるようになるのだと思います。
直観力が編み出した笑顔という武器
冒頭の北京五輪、後半を盛り上げてくれたのはカーリングでした。ロコ・ソラーレは日本史上初の五輪銀メダルを獲得しましたが、この快挙とともに常に笑顔で声をかけ合うプレイスタイルに多くの人が惹きつけられました。決勝戦の平均世帯視聴率は29.2%、毎分最高世帯視聴率は34.0%にもなりました。彼女たちの笑顔は、対戦した選手にも影響を与え、決勝を戦った英国のイブ・ミュアヘッド選手は、「一緒に戦っていてすごく楽しいですし、表情も笑顔。カーリングというスポーツにとって素晴らしいことです。」と語りました。他国の選手が皆真剣な表情で競技をしている中、まさに常識を覆すプレイスタイル。平昌から北京までの数々の激戦の中で編み出したものです。
「氷の上で不安に思ったら口に出して言ってみる。1人で抱え込まず、落ち込まず、というのがチームで大事なことだと、この4年間で思いました。」
決勝戦の終わった後の吉田知那美選手の言葉に、未到への挑戦は並々ならぬものであって、直感力を磨いた人でなければ到達できない境地を表しています。
「苦しい舞台、大変な舞台で苦しそうな顔、辛そうな顔をするのは、誰にでもできると思うんですけれど、(苦しい中)楽しむには、たぶん覚悟がいる。」(12)
参考文献
- “The Moon Speech” John F. Kennedy at Rice University – September 12, 1962
- 宇宙開発と国益を考える研究会 「宇宙開発と国益を考える研究会 ~宇宙探査の意義~ 報告書」平成20年3月
- Mention A-L., Ferreira J. J. P., Torkkeli M. Moonshot innovations: Wishful Thinking or Business-As-Usual? Journal of Innovation Management 7, 1-6, 2019.
- キヤノンギャラリー 西野壮平写真展「線をなぞる “tracing lines”」
- 情熱大陸 西野壮平 撮影するだけじゃない切って貼って見える世界がある
- Biomason
- 野中郁次郎, 勝見明 『共感経営 「物語り戦略」で輝く現場』日本経済新聞出版
- 長谷川一英 アート思考入門(2)「抽象度上げて、考えを飛躍 (戦略フォーサイト)」
- 長谷川一英 アート思考入門(4)「共感集める「私の世界観」 (戦略フォーサイト)」
- 野中郁次郎, 山口 一郎 『直観の経営 「共感の哲学」で読み解く動態経営論』KADOKAWA
- 今西錦司 『人類の周辺』筑摩書房
- 松原孝臣 「吉田知那美が語った“笑顔を絶やさない理由”「楽しむには覚悟がいる」…なぜ北京五輪でカーリング女子日本代表は輝いたのか?」Number Web
- オザン・ヴァロル 『ロケット科学者の思考法』サンマーク出版
- ウィリアム ダガン 『戦略は直観に従う ―イノベーションの偉人に学ぶ発想の法則』東洋経済新報社