歴史の中に埋もれた事象を発掘するアーティストの探究心

 

 

 

このコラムでは、歴史の中に埋もれた事象を発掘するアーティストの探究心について、藤井光さんの事例を中心に紹介します。

 

絵の描かれていない大きなボードが、美術館の壁に所狭しと掛けられています。Tokyo Contemporary Art Award (TCAA) 2020-2022 受賞記念展の藤井 光さんの展示です。

 

日本人が観ることのできなかった「日本の戦争美術展」

 

1946年8月21日から9月2日まで、上野の東京都美術館で「日本の戦争美術展」という展覧会が開かれました。アメリカ合衆国太平洋陸軍が主催した展覧会で、占領軍関係者のみが入ることのできる展覧会でした。ここで展示されたのは、藤田嗣治や小磯良平など著名な作家の作品を含む150点ほどの戦争画。

 

藤井さんはこの奇妙な展覧会に興味をもち、「日本の戦争美術展」で展示された作品と同じ大きさのボードを廃材で作成したのです。絵が描いてあると何が描かれているかに関心が向きますが、ボードだけだとその大きさが際立ちます。例えば、藤田嗣治の《サイパン島同胞臣節を全うす》は縦181センチメートル、横362センチメートル。軍が画材を提供しているようですが、このような大きさの作品が150枚もあれば、アートの一つのジャンルを形成できるぐらいです。

 

 

《サイパン島同胞臣節を全うす》

 

アメリカ国立公文書館に、この作品に関わる資料が保存されています。当初、工兵部隊が日本の戦争画を接収していたところ、マッカーサーの知るところとなり、美術の専門家が入って対応を協議します。これらの作品ははたして「プロパガンダ」なのか「芸術」なのか?

 

米国側は結論を出すことなく、展覧会後5年間、東京都美術館に放置され、その後米国に送られます。1970年、無期限貸与として日本に戻され、東京国立近代美術館に収蔵されました。現在、一部は常設展に展示されていますが、未だに全貌を見ることはできていません。

 

西洋を超えたいというアーティストたちの思い

 

公文書館の資料を検証した、千葉工業大学教授の河田明久さんは、アーティストが戦争画を描いた状況について、次のように言っています。

 

軍が無理にアーティストを動員した記録はありません。アーティスト自ら志願したのです。

日本の西洋画家は明治以降、この分野に入っていったが、西欧は既に膨大な歴史をもっていて、太刀打ちできない状況だった。展覧会の入場者は減り、逆に映画などが盛況となり、社会とのつながりを感じられなくなっていた。

そんな中、太平洋戦争は、アジアを西欧の植民地から解放するという大義名分があった。西洋画家が西欧を超えたいという思いと一致したことが大きかったと思います。

 

東京国立近代美術館にある藤田嗣治の戦争画には「無期限貸与」と書かれていることは知っていました。しかし、経緯や、どんな思いで藤田などのアーティストがあのような絵を描いたのかなど、私たちの知らないことはまだまだあります。

 

藤井さんは、「芸術は社会と歴史と密接に関わりを持って生成される」という考えのもと、歴史を再考する作品を制作しています。知られていない歴史を掘り起こし、原寸大のボードを使って見ることのできない作品が山のように存在することを炙り出しました。この作品は、目まぐるしく変動する世界情勢の中で、私たちがいかに行動すべきかを問いかけてくれています。

 

発禁書で築いたパルテノン神殿

 

私はこの展示を見て、2017年にドイツ中部カッセルで開催された「ドクメンタ14」に展示された、アルゼンチンのアーティスト、マルタ・ミヌヒン(Marta Minujin)氏の作品《Parthenon of Books》を思い出しました。世界中で何らかの理由によって発禁処分にされた書籍10万冊を使ったパルテノン神殿のレプリカ、巨大さに圧倒されました。こんなにも多くの本が発禁処分となって読むことができない状況があったことに気づかされます。

 

この神殿が建てられたフリードリヒスプラッツは、1933年5月19日にナチス・ドイツや右翼の学生が「反ドイツ的精神に抗する行動」として約2000冊の本を燃やした場所だそうです。そしてパルテノン神殿にしたのは、これが民主主義の象徴だからだといいます。

 

私が訪れたときは神殿の取り壊しが始まっていて、神殿から外された本は、自由に持ち帰ることができました。実際に手に取ることで、なんでこの本が発禁処分になったのかを考えるきっかけを与えてくれたのです。

 

《Parthenon of Books》

 

展示されていた書籍

 

歴史の中に埋もれた事象を発掘し、境界線をずらす

 

歴史の中に埋もれたこのような事象を発掘する作業は、アーティストだけでなく、研究者やジャーナリストも行っています。アートとして提示されたときのインパクトは非常に大きく、いつまでも記憶に残るものです。

 

藤井さんは、今回、日本のアーティストが描いた戦争画とともに、米国の公文書もリサーチしました。両側から見てみることが大事だといいます。一方からの視点では、誤った認識に陥る危険性があるのです。

 

戦争はまさに境界線をめぐる戦いですよね。私の場合、自分自身の立ち位置がその境界線なのです。対立が起きている境界線の上に立つことによって、仕事をしているのです。今回は戦争がテーマに変わりました。差別や分断とも一線上に繋がっている問題です。アートにはそういうボーダー(境界線)の上に立ち、その価値体系がせめぎ合うところで、その価値体系をカッコに入れて問い直す、ということができます。あるいは境界線そのものを書き換えるとか、ずらすとか、それがアートの役割なのではないかと思っています。

 

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