青山学院で財務を教えている先生から、森 有正さんの『生きることと考えること』を紹介していただきました。先生は、学生時代にこの本を読んで、「経験」という言葉の深い意味を知り衝撃を受けたそうです。
先生は最近、私が書いた文を読んでくださり、森さんの本に書いてあることと共通していると感じて紹介してくださいました。
森 有正さん(1911-1976)は、東京大学文学部仏文科助教授だった1950年、フランスに留学。そのままパリに留まり、デカルトやパスカルの研究を行いました。『生きることと考えること』は、同じ哲学者の伊藤勝彦さんが、森さんに質問し、語ってもらう形式で書かれたものです。
伊藤さんは、この対談を行うにあたり、森さんについて次のように語っています。
長い間、異国でのひとりぽっちの生活の中にあったために、これまでの日本の社会で通用していたような既成概念にたよって思考をすすめていくわけにはいかなくなっていたのです。だから、いやおうなしにすべてのできあいの観念を拭いすて、自分自身の経験の上に思想を築き上げる道をえらばねばなりませんでした。
感覚から出発し、経験が未来を開く
経験を重視しいている森さんですが、その出発点は「感覚」だといいます。
感覚を出発点としない、そういう抽象操作というものはありえない。というのは、直接的な感覚の世界だけが、この世界でわれわれが触れることのできるものだからです。抽象的な空間の世界というものは、われわれはそれに触れることができない。したがって、そこから出発することは、根本的にはできないわけです。
そして、経験については以下のように語っています。
絶えず、そこに新しい出来事が起こり、それを絶えず虚心坦懐に認めて、自分の中にその成果が蓄積されていく。そこに「経験」というものがあるので、経験というのは、あくまで未来へ向かって開かれる。すべてが未来、あるいは将来へ向かって開かれていく。というのは、つまりまったく新しいものを絶えず受け入れる用意ができているということです。それが経験ということのほんとうの深い意味だと思うのです。
私は、ビジネスパーソンを対象としたアート思考講座を行なっています。この講座では、自分が興味をもった社会事象についてリサーチすることで思考を飛躍させ、これまでの常識を覆すコンセプト創り、アート作品として表現することを行います。
最初に、どんな社会事象を取り上げるかは、まさに感覚が重要です。感覚を研ぎ澄ますことができれば、多くの人がスルーしてしまうような事象についても、面白いとか、不思議だとかいうことを見出すことができます。
あるコンサルタントは、コロナ禍で街にガチャガチャのマシンが増えたことに気づきました。なぜ増えているのかを考えるため、自分も実際にやってみたのです。家具のミニチュアのガチャガチャに2回トライしたところ、なんと同じソファが出てきてしまいました。ここで、3回目にチャレンジしてテーブルが出てくるのを期待するという選択肢もありましたが、彼女は、ソファに置く小さなクッションと、ソファにかぶせるカバーを自作しました。カバーをかけるとテーブルと見立てることができ、ミニチュア家具の世界がどんどん広がっていきました。
ガチャガチャは、どんなジャンルのものが入っているかはあらかじめわかりますが、自分がハンドルを回したときに何が出てくるかは自分では決められません。そこは運命に委ねることになります。しかし、出てきたものに関してどれだけ楽しめるかは自分で決めることができる、自分自身で未来を開くことを経験したのです。
「よく生きる」とは「よく考える」こと
新しい情報、新しい直輸入の知識に対する、日本人の異常なばかりの興味も、結局、自分の中に実質的なものをもっていないからでしょう。だから考えが空疎なのです。空疎だから、なにか新しいものをもっていないと不安なのだと思われます。
私のアート思考講座では、ビジネスパーソンとアーティストとの対話の時間をなるべく多くとるようにしています。アーティストから見ると、ビジネスパーソンは、森さんが指摘したと同じように根本から考えていないと感じることが多々あるようです。
逆にビジネスパーソンからすると、アーティストは、自分が住み慣れたシステムの外にいる人。森さんがフランスに行ったときに日本での既成概念が通用しなかったのと同じように、アーティストから衝撃を受け、「考えること」がどういうことかに気づいてくれることも多くあります。
私がアート思考講座を始めようとしたのも、現代アートのアーティストたちと出会って対話を重ねるなかで、彼らのいう「思考の飛躍」を自分でも経験してみたいと思ったこと、そして、現代アートが人生に大きな刺激を与えてくれたことによります。この素晴らしさを、もっと多くの人に経験してもらい、未来を開いていってほしいと思うのです。
自分の感覚と、自分の理性と、また自分の意思と、そういうふうなものをできるだけ働かせて、そうして自分の考えというものを築き上げていくー
一つの経験として与えられたものを素材として築きあげていく。 それを養うために先生にも教わるし、友達とも交わるし、またいろいろな過去の人間がつくりあげたもの、それが造形芸術品であっても、文学であっても、そういういうもので絶えず自分を養いながら、自分の考えをだんだん深め正確なものにしていく。そういう考えで人生を送っていて、私自身は、それで満足だといってはおかしいけれども、ある程度、そういうふうに生きていくことに自分の生きがいを感じています。