日経産業新聞 2021年6月10日に寄稿した記事を転載します。
イノベーションを生み出す「アート思考」は社会課題の解決に
も役立てることができる。ドイツで行われた移民・難民への理解
を進めるプロジェクト「マクドナルドラジオ大学」の例を紹介し
たい。2017年3月、独フランクフルトでマクドナルドの店舗
を教室に見立て、母国では高い学歴を持つ移民・難民がラジオを
通じて様々な分野の専門的な講義をしたのである。
主宰したのは、アーティストで演劇の演出家の高山明氏。同氏
は劇場ではなく街に飛び出して、虚構の世界を創るというコンセ
プトを実行している。「街で構築した虚構世界が鏡となり、現実
世界がいつもとは違って見える」ことが狙いだ。同氏がもう一つ
注目しているのは多様性である。様々な意見を受け入れない社会
は思考が硬化してしまう。いかにばらばらな乱数的世界を創るか
が自分の役割だと考えているという。
「マクドナルドラジオ大学」では、多様性の対象として移民・
難民(マイノリティー)に焦点を当て、架空の大学という虚構世
界の中でマイノリティーと一般の人とが出会う場を提示したので
ある。
このプロジェクトは高山氏の実体験に基づく。当時、ドイツに
在住しており、シリアやアフガニスタンから押し寄せる難民の問
題を目の当たりにしていた。彼らに直接話を聞いたところ、祖国
ではプロフェッショナルな仕事をしていた人や国際大会に出るよ
うなスポーツ選手もいた。しかし、ドイツに来ると専門性を生か
せない仕事にしか就けず、不遇な立場に置かれてしまっていた。
一方、難民たちはドイツに至る移動の過程でマクドナルドを情
報交換の拠点としていることもわかった。マクドナルドでは食事
をとることができ、Wi-Fi(無線LAN)も使える。多様性
に対する許容度が高い企業であり、難民たちを排除することもな
かった。
そこで高山氏は、ドイツで移民・難民の立場を逆転させ、祖国
のように振る舞える仮の世界をマクドナルドに作ろうと考えた。
15人に建築や哲学などの話をしてもらい録音、マクドナルドで
ハンバーガーを食べながら講義を聴けるようにした。
普段はマクドナルドに行かない人もこの企画には興味を持ち、
店舗に出かけて移民・難民の講義に耳を傾けた。彼らが目をそむ
けてしまう移民・難民の現実を知ってもらうことができたのであ
る。
大きな話題となり、ベルリンでも実施したほか、日本のマクド
ナルドでも何回か行われた。
移民・難民も私たちと同様、それぞれの経験がある。劇場で演
劇を見て気づくことも多いが、街中で虚構世界を体験する方がは
るかに共感を集めることができる。
高山氏は「演劇を見たい人が劇場に集まってコミュニティーが
生まれるのではなく、都市機能を設計するように、ある種のアー
キテクチャー(建築物)を設計するようなことに興味がある」と
言う。演劇というコンセプトを大きく変貌させた事例である。
このプロジェクトには、難民問題に対する「思考の飛躍」、マ
クドナルドを動かした「突破力」、共感を集める「私の世界観」
のアート思考の3つの要素が詰まっている。この3要素がそろう
と、社会変革を促す大きな力を生むことができるのだ。
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