『都市と野生の思考』 生き延び、新たなものを生む力

 

『都市と野生の思考』は、哲学者で大阪大学総長、京都市立芸術大学学長などを歴任した鷲田清一さんと、ゴリラ研究の世界的権威で、京都大学総長、日本学術会議会長などを歴任した山極寿一さんの対談。アカデミアの巨頭の対談だけに、難しい理論が炸裂しているのではと思いきや、実はかなり破天荒な展開。家族、ファッション、食、そしてAIと思いつくまま語り合っています。賛同できるところもあれば、そうかな?と思うところも。

 

アートは力を与えてくれる

 

この中で、アートについての議論にかなりの熱が入っています。
東日本大震災のときに、多くの若いアーティストがボランティアに出向きました。アーティストたちは、瓦礫を詰めた袋でピラミッド様に積み上げたりした。

 

たかが瓦礫を積むだけのことだけれど、ただ積むだけではない。そこに形を与えることで、見る人の気持ちを和ませたり、力を与えたりできる。ころこそアートの力でしょう。
その結果、生き延びるための原動力が湧き上がってくる。知らぬ間に、みんなで調子を合わせて歌い始め、深いつながりが生まれ・・・。

鷲田清一、山極寿一『都市と野生の思考』

 

東日本大震災の後、大きな力になったアートとして、印象的だったのが、加藤翼さんが行った《The Lighthouses – 11.3 PROJECT》。瓦礫撤去をするかたわら、加藤さんは津波で倒壊してしまった家屋の木材を集めました。消灯してしまった地域のシンボル・塩屋埼灯台をモデルに構造体を制作し、被災した方々やボランティアの皆さんと一緒に、この構造体を立ち上がらせたのです。

 

このプロジェクトの核心は、そうした震災の体験による私たちの主観の溝を認めながらも、新たな集団体験の場を設定し、そこで私たちが何をシェアできる/できないのかを問いていくことである。

The Lighthouses – 11.3 PROJECT

 

巨大な構造体が立ち上がるのを目の当たりにした被災者の皆さんは、生き延びる力を感じ取ることができたのではないでしょうか。

アートに生きる力が備わっていることの要因として、鷲田さんは、アートは目標を設定しないと言います。

 

アートは目標をもたず、考えもしなかったアイデアを創出する

 

最初からどんな絵を描くのかがわかっている画家はいない。何かおもしろいものを描きたいと、ああでもない、こうでもないとやっているうちに「いける!」となったときに、最初に考えもしなかったような作品ができる。

鷲田清一、山極寿一『都市と野生の思考』

 

先日、街づくりの仕事をしている方と話をする機会がありました。ベンチャーとのコラボレーションで、新しいサービスをローンチしているそうですが、議論している間に、当初考えていたこととはどんどん変わってくると言っていました。

都市計画というと、最初に目標が決められると思いますが、その多くはビルの建設計画で、そこに住む人々の暮らしがどうなるかは、計画通りに行くとは限らないのではないでしょうか。そういう点ではアートと似ていて、生活が楽しくなるにはどうすればいいかと考えていると、どんどん変化していくのは理想的だと思います。

これは、レヴィ=ストロースの『野生の思考』にでてくる「ブリコラージュ(bricolage):「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る」とも通じるものがあります。

 

ブリコラージュは「でき上がったとき、計画は当初の意図(もっとも単なる略図にすぎないが)とは不可避的にずれる。これはシュルレアリストたちがいみじくも『客観的偶然』と名づけた効果である」

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(大橋保夫訳、みすず書房、1976)

 

街づくりを考えるときに大切にしていることが、固定観念を崩すということ。当たり前だと思っていることを書き出して、それをやめたときにどうなるかを考えるようにしているそうです。このようにして考えついたアイデアは、思いもよらないものになるのです。ところが、固定観念を崩すことはさすがに難しく、お蔵入りになってしまうことも多いそうです。
そんな時に、アーティストに入ってもらって議論すれば、アーティストはビジネスパーソンが思ってもいないアイデアを出してくれるはず。

街づくりとアートというと、芸術祭をやって町おこしをやろうとか、パブリックアートを創ろうという話になりがちです。しかし、そもそもどうしたらいいかという企画のところに、アーティストに参加してもらうアーティスティック・インターベンションが重要です。思いもよらない楽しいアイデアを創出したいものです。

 

野生の思考に求められる直観力

 

面白そうという動機から始まって、思いもよらぬモノ(コンセプト)を創り出すのが、アート思考や野生の思考の特徴といっていいと思います。私は、思いもよらぬコンセプトを創るには、思考を飛躍させることが必要だと考えていますが、同様のことを山極さんは「直観力」と言っています。

「直観力」は、無意識に物事を感じ取る「直感力」とは異なり、経験に基づいて意識的、論理的に思考、判断することです。

 

同じ時に同じ対象を見ても、人によって感じ方はそれぞれです。それは人間が身体を持っているからなんですね。人間のクリエイティビティーは、そういう個別の経験が積み重なり、直観力が鍛えられてはじめて生まれてくるものです。

山極寿一「おもろい挑戦で直観力を」 頭でなく身体で学べ

 

元京都大学名誉教授で、日本の霊長類学の草分けであった今西錦司さん(1902-1992)を、「直観力」を駆使したリーダーだと言います。

 

自分の周りにフォロワーばかり据えていたのでは、自分を超える人は出てこない。今西さんの場合は、常に挑戦し続けるという彼自身の姿勢と、弄するレトリックが面白かったので、弟子たちが自然と集まってきた。さらに、今西さんは自分が挑戦し続けるだけでなく、弟子たちの挑戦を奨励し、許容したんです

山極寿一「おもろい挑戦で直観力を」 頭でなく身体で学べ

 

現代でいうと、新庄Big Bossがそのようなリーダーと言えるのではないでしょうか。弟子たちにチャレンジする機会を与え続ける。このようなリーダーが次々に登場することで、個人個人の直観力や生き延びる力が磨かれていくに違いありません。