『空洞説』 あくなき挑戦が創る崇高さ

 

神経美学という分野の研究をしている先生から、「AIによって”崇高さ”を数値化する研究が進んでいる。数値化できたら、崇高さを表現する映像などを作ることができ、いろいろな場で活用できると考えている。」という話を聴きました。

精選版 日本国語大辞典では「崇高」は「けだかく尊くて、驚異、畏敬、壮大、悲壮などの感じを起こさせるような美しさがあること。また、そのさま。」と書かれています。

非常に主観的で、人によって感じ方が違うので数値化はそう簡単ではないように思いますが、AIは人の感性の領域にも入り込もうとしているんですね。

私は崇高さというと、3,000 m級の山の頂でご来光を拝むとか、教会に行くとか、非日常でないと感じられないことが浮かびます。それが映像で感じることができるようになったら、山に登りたくても体力的に登れない人など、効果的な場面もあるでしょう。メタバースの出番ではないでしょうか。

 

現代アートにみる崇高さ

 

谷中のギャラリー、SCAI THE BATHHOUSEで遠藤利克さん(1950〜)の展覧会が行われています。遠藤さんは、鉄、木、火や水、(空気)といった根源的な素材を用いて作品を制作しています。

今回、ギャラリーの中央には『空洞説ー鏡像の柩』と題された、黒く炭化した柩の形状をした立体が置かれています。壁には、鉛で作られた作品が柩と対峙しています。

 

空洞説

 

私はこの作品を観たときに「崇高さ」を感じ、いつまでも柩を観ていたい感覚になりました。

遠藤さんが根源的な素材で作品を創るり、エポックメーキングとなった展覧会が1978年の所沢野外美術展。イチョウの木の下に穴を掘り、ビーカーに入れた水を土中に埋め込んだ。

 

水を考古学的な意味で発掘したような感じがした。つまり、水は単なる物理的なH2Oではなく、さまざまな宗教的、民族的、人類学的な意味性など、古代からの文化史的な文脈、象徴性を背負わされたものであると。

井上昇治「水と円環—遠藤利克さんが語る初期作品

 

遠藤さんは、能登半島にある縄文遺跡・真脇遺跡の柱列遺跡と自分の作品に類似性があると感じました。このような遺跡は、聖なる場所と死、天と地をつなぐ共同体の中の重要な場であった。遠藤さんの作品もまた、天と地をつなぐ聖性をたたえていることが崇高さを感じさせるのではないでしょうか。

そして、柩を燃やすという行為も崇高さに関わていると思います。作品は今も焦げた匂いが漂っています。その表面は彫刻刀では表現することのできない表情を見せています。燃やすことで、アーティスト自身もコントロールできない、人智を超えた力が加わり作品が成立しているのです。これも聖性ということができます。

遠藤さんは、明治以降、日本が西洋の美術を取り入れてきたことに対し、そこから脱却して新しいものを創りたいと思い、美術で扱うのが難しい水や火を素材に使うことを考え続けてきました。他の人がやらないことには、多くの困難が待ち受けています。しかし、その困難に挑戦し続けることで、人智を超えた力を呼び寄せることができるのです。

 

誰もやらないことへの挑戦 mRNAワクチン

 

他の人がやろうと思わない領域に挑戦した事例として、最近の快挙はmRNAワクチンだと思います。mRNAは、研究していたときに私も扱ったことがありますが、非常に壊れやすく慎重に実験する必要があります。壊れやすい物質なので、ほとんどの研究者は、mRNAが薬になるとは思っていませんでした。

ハンガリー生まれのカリコー・カタリン(Karikó Katalin)は、大学生だった1976年にRNAが有用な物質の生産に使えるという報告を聴いて以来、mRNAの研究を続けてきました。他に誰も行なっていない研究とあって、なかなか評価されず苦労の連続でしたが、彼女はあきらめずに、信念を持ち続けました。そして、ドリュー・ワイスマン(Drew Weissman)教授と出会い、2005年に医薬品としての可能性を示唆する結果を、2012年には動物に投与したmRNAが効果を発揮することを示すことができました。それでも、製薬会社の多くは興味を示しませんでした。

そんな中で、これは凄い結果だと見抜いた研究者が二人いました。デリック・ロッシ博士とウール・シャヒン博士。その後ロッシ博士はモデルナ社を、シャヒン博士はビオンテック社を創業。実用化が加速し、コロナ禍において多くの人の命を救うことができたのです。

 

mRNAワクチン

 

科学の世界ではセレンディピティとよく言われますが、誰も行わない研究にひたすら挑戦し続けたことで、人智を超える力がカリコー博士とイノベーターたちを引き合わせたと感じざるを得ません。

冒頭の、崇高さを数値化するということ自体も大きな挑戦ですが、ここで開発されるAIは、はたして新たな創造を目指す挑戦者の思いとひたむきな姿勢を汲むことができるのでしょうか。