日経産業新聞 2021年6月15日に寄稿した記事を転載します。
アート思考は決まったメソッドがあるわけではないし、作品を
見てすぐ感受性が養われるわけでもない。しかし、アーティスト
がどのようにその作品を創り上げたのか、作品を見ながら考える
ことでアート思考に迫ることができる。その方法について紹介し
たい。
代表的な方法が、一つの作品について自由に感想を言い合う対
話型鑑賞である。こうした催しがよく開かれる美術館などでは、
意見を述べやすい近代の具象作品を扱うことが多い。アート思考
で活用する際は現代アート作品を対象にした方がいいだろう。
連載で説明してきたように、現代アートはこれまでなかったコ
ンセプトを提示する芸術である。作品を見て、アーティストが提
示したコンセプトを想像してみることが、自分がコンセプトを創
るうえでのトレーニングになる。
いろいろな作品を見ていると、着目した社会課題がストレート
に伝わってくる作品もあれば、私たちの思いもよらない思考が大
きく飛躍している作品もある。美術館であれば作品の解説が書か
れている場合があり、何を意図して制作したかを確かめることが
できる。最もいいのは、アーティストトークなどで、本人から説
明してもらうことである。
今回写真を掲載した作品について、皆さんもコンセプトを考え
てみてほしい。AKI INOMATA氏の「やどかりに『やど』
をわたしてみる」という作品である。3Dプリンターで作った
米ニューヨーク・マンハッタンの形をした透明の「やど」。生き
たヤドカリにこれを渡すと、自分の「やど」として使うようにな
る。
ある大学の経営学部の学生たちにこの作品を鑑賞してもらった
ところ、「都市が小さな生物に支えられているが、全てのものは
見えないものに支えられている」「外から見ると違和感があるこ
とがわかるのに、自分では気がつかない」「マンハッタンが重そ
うに見える。多くのものを背負わされている現在に生きる人間を
表している」といった意見が出た。学生らしく感性豊かな反応だ
った。
INOMATA氏がこの作品を制作する発端になったのは、2
009年の在日フランス大使館(東京・港)の庁舎移転だった。
隣の敷地に建てた新たな建物に移り、旧大使館があった土地は、
フランス本国の領土と同じ扱いを受ける治外法権下から日本の法
律の管理下となった。しかもこの土地は60年後に再びフランス
の管理下になる取り決めになっている。
実はこの土地は定期借地権付きで分譲マンションの敷地として
貸し出されたものだが、領土がフランスと日本の間で行き来して
いるようにも見える。この話を聞いたINOMATA氏は「平和
的に領土が変わるのは珍しい」と興味を抱き、やどかりの作品を
制作した。
この作品から領土の話を思いつくのはさすがに難しいが、コン
セプトを聞くと、都市の形をした「やど」の意味が見えてくる。
さらに、平和的に領土が変わるのは他にどんな場合があるかを調
べていくと、新たな社会課題を見つけることも可能になるだろう。
対話型鑑賞で出てくる多様な意見、アーティストのコンセプト
を聞くことで、それまで考えてもいなかったことに気付かされる。
そして、自分が思考を飛躍させるときに、どのように事象を観
察すればいいかを教えてくれる。
記事のPDFはこちらをご覧ください。
関連リンク
文化庁主催シンポジウム「企業の文化投資は経済界・文化界に何をもたらすのか」に登壇しました